2012年3月26日月曜日

どーか誰にも見つかりませんようにブログ:ほのぼの - Livedoor Blog(ブログ)


7回のオモテ。スコアは2対2。一塁にはランナーを背負っている。あなたは左翼手(レフト)として守備についている。勝つか負けるか、その雌雄を決する正念場。

フラフラっと小飛球が舞い上がる。打球は、ショートの後方、あなたの前方にポトリと落ちそうな小飛球だ。あなたは猛然とダッシュして、白球を追う。同じように小柄の遊撃手も敢然と白球を追って後退してきている。

キャプテンの三塁手が何か叫んでいるが、その声は歓声でかき消されてしまう。次の瞬間、遊撃手は捕球せんと三日月のように体を反らせ、あなたの目の前でジャンプする。あなたは勢いを止める事が出来ず、目の前の遊撃手と烈しく激突してしまう。

あなたは激突に対し、結構な手ごたえを感じてい る。遊撃手は小兵のガッツマンで、あなたと激突した事でグラウンドに仰向けになって倒れている。

ボールはというと遊撃手のグラブをかすめ、転々とレフト線を転がっている。あなたはボールの行方に気づくが、同時に足元に横たわり苦悶を表情を浮かべている遊撃手にも気づく。左翼手である、あなたがボールを追いかけるのが野球というものだ。しかし、自分と激突した事により、その場に仰向けに倒れ込んでしまった小兵の遊撃手の様子も気にならないでもない。

さて、問題です。あなたが左翼手の立場であった場合、瞬時の判断が要求されている訳ですが、ボールを追いかけるべきか、チームメイトの安否を気にかけるべきか?

――実はコレ、日本のプロ野球で起こった話です。しかも、その舞台は、その年度の� ��実共に日本一を決定する日本シリーズという大舞台。さて、あなただったら、どんな対応をとるでしょう。また、以下の顛末に、どんな事を思うでしょうか。


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その左翼手がどうしたかというと、その左翼手はボールを追わなかった。迷う事もなく、倒れてしまったチームメイトの肩に手を掛けて介抱するという行動に出た。それは瞬時の状況判断として行われたものの、野球場は騒然となった。インプレー中だというのに、守備を放棄してしまうという未曾有の大ボーンヘッド。敵方の一塁ランナーは三塁まで進塁してしまっていた。

その場にいた観客も両チームの選手らも、一瞬の事だったので、何故、誰もボールを追っていないのかと思ったら、遊撃手を介抱しながら大きな声で何やら語りかけている姿に気づいたのだそうな。

この左翼手とは、当事ロッテに在籍していたジョージ・� �ルトマンという選手だそうな。黒人選手として8年間日本でプレーし、人格者としても広くチームメイトから愛された助っ人外国人。長身で黒髭、ニックネームは足長オジサンだったと伝わります。ちなみに、小飛球を打ち上げたのは後に西武ライオンズの監督として名将の名を欲しいままにした森祇晶(当事は森昌彦)だったりします。

史実詳細を明らかにすると、これは昭和45年の日本シリーズ、第5戦。巨人対ロッテ。これまでの戦績は巨人の3勝1敗で、この試合もアルトマンの「まさか」の大ボーンヘッドにより勝利し、そのまま巨人はV6を達成しています。考えようによっては、あのアルトマンの行動こそが日本シリーズの行方にも大きく影響していたのかも知れないという、正に、大舞台で起きたハプニングだったか のよう。この試合、巨人の監督は球界の首領・川上哲治。他方、ロッテの監督は天皇・金田正一。小兵の遊撃手は飯塚某。一塁ランナーは黒江透修。主将で三塁手だったのはミスターオリオンズ有藤道世。

ドラマだなぁ…。まさしく、「野球は筋書きのないドラマである」のセリフを地で語れる凄い逸話だと思うんですよね。それこそ、金メダリストの成功譚を教科書が採用する例が相次いでいるんですが、ありきたりな成功譚よりも、むしろ、これを採用しろと思うほど。


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いやね、この話、ここで終わらないんです。この騒動もあって無事に日本一に王手をかけた巨人軍。その帰りのバスの車中で、川上哲治がコーチとの会話の中で一つの見解をした事が、このドラマを更なるドラマとして成立させます。その会話は、おそらく敵地での勝利、日本一に王手を掛けた直後の歓喜に沸く車中であったでしょう。

「ところで、アルトマンの行動をどう思う?」

「監督、私もその事が気にかかっていました。そうですね、私でしたらボールを追いかけ、その後に飯塚の介抱にあたったと思います」

「そうだろうね。きっと私も先にボールを追い掛けてから、飯塚の介抱にあたったと思う。野球選手として、あのプレ� ��はいけない。ただね、…これからは、あんな野球をしたいものだね」

これ、昔のナンバー誌が掲載した実話記事を元ネタに私が掘り起こたものです。なので基本的には実話です。いや、これ、ホント、野球のドラマらしさが出ていて、味のある逸話だと思うんですよね。日本シリーズという大舞台、ボールを追いかけるのを無視して仲間の介抱を優先させた選手が実在したなんて、なんだか話だけでもウキウキとしてしまいます。

ルールに縛られず、常識にとらわれず、アルトマンはインプレー中なのにチームメイトの安否を気遣う事を優先させていたというのは、行動の純粋性からくる裏切りでしょう。それに、あの川上哲治にしてもその純粋性を理解していた。

日本のプロ野球の監督業に管理野球の系譜があるとした� �、川上哲治→広岡達朗→森祇晶でしょう。で、その「管理野球の父」に該当する川上哲治が、アルトマンの善意あるれる大チョンボに対して酷評もしていないし、むしろアルトマンの行動に感動してしまっている。このニュアンスさえ伝わってくるんですよねぇ。


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最近、スポーツ中継は花盛りなんですが、勝利至上主義に肩入れしすぎていたり、定石らしい定石が定着しすぎているんじゃないかって思う事があります。もっとも、最近は高校野球ぐらいしか観ないんですが、名も知らぬ高校野球の県大会2回戦ぐらいを観ていると、九回裏ツーアウトから三年生が代打で登場します。ランナーなし。もう、見るからにそれは彼が野球部として活動した事に対する最後の記念打席なんですね。で、これがいいんです。観るからに力んでいたり、バッターボックスに入る前から敗戦をイメージしているかのような悲しい目をしていたり、或いは部員が11名なんて学校だと「おいおい、あのスイング、怪しいなぁ」な んて事もありますが、それはそれで微笑ましい野球の一コマでしょう。

AかBか、上手か下手か、勝つか負けるか。そんな窮屈な価値観だけではないし、物事の裾野というのは、広くて当然なんですよね。「こうすべきである」という理論が溢れてしまえば、それは狭い狭いルールの中の娯楽でしかない。(そういうシバリをする楽しみ方もある事も否定しませんけど。)

最後まで勝ちを諦めるべきではないという意見もあるでしょうが、この九回二死からの三年生の代打、その球児の総決算だし、その球児の長く辛かったであろう野球人生の晴れ舞台で、それが実際に観ている者にも伝わるんだから凄いものです。多くは、三振だったり、内野ゴロなのにヘッドスライディングをするという古典的な行動様式だったりしますが� �そこにドラマの原点を感じますかね。その球児から読み取れるものは少なくないから。

別に私なんかにしてみればスーパープレーや逆転劇だけを期待しているんじゃない。名も知らぬメジャーリーガーのファインプレーよりも、名も知らぬ高校球児の全力で戦う一挙手一投足に魅力を感じる。前者は巧者の好プレーに過ぎないのに比べて、後者は緊張感と戦う身近な戦いに置き換える事が出来るし、その球児の感情の爆発だったりする。


アルトマンのような行動が、実際に起きたら物議を醸すでしょう。現在なら勝利至上の解説者なんてのも多いし、スポーツライターも単なるアスリート評論家になっているから、「あれは許されないボーンヘッドだ」とか「あんな事をしているから勝てないんだ」とか、つまらない意見だらけでしょう。しかし、どうでしょう。川上哲治は的を射ていて、ホントは「野球」が国民的スポーツであろうとするなら、あろうとするほど強くする事に主眼を置くのではなく、日常的で、大らかな競技として定着すべきだったんだろうと思います。

いや、だって、川上哲治は常勝読売巨人軍という今日では嫌われ者のド保守チームの指揮官でありながら、その実、あの巨人の黄金期に既に勝利至上 主義のつまらなさに実は気づいていたんじゃないのかなぁ…とね。

つまり、野球とは、キレイなユニホームをきた選手がキレイなグラウンドでプレイするものだけではなく、薄汚れたランニングシャツの子供らが原っぱでやっていたり、嬉々として息子と父親がキャッチボールをしているような光景だって立派な野球でしょう?(米国では夏休みだけで子供らにチームを組ませるなど、やはり親しみ易いレクリエーションとして扱ってますよね。かならずしも、気張って××リーグに所属しなければならない、練習をさぼってはならない、父兄は応援に駆けつけねばならないかのような、息苦しさはなく、大らかなよう。)

野球観は広い方がよくて、チームの勝利を至上に考えるだけのシビアさと同時に、時としてチームプレーの� ��切さ、また《人間性》や《意外性》を感じさせてくれるものであるべきじゃないか、と思うんですけどね。

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